2018-06-19
自己紹介ブログ久しぶりに書いてみた。~成人になるまでの生い立ち編~
昨日は大阪で大規模な地震があってずっとニュースをしてましたね。こういう暗いニュースを見てると気持ち的に持っていかれるので、あまり見たくないんですけどやっぱり目に入ってきますね。今はスマホもあるしどこからでも情報が入ってくる。でもそんな世の中で悲観的に捉えるのは簡単だけど、出来るだけ楽観的に捉えたいと思う。悲観的な気持ちも伝染するけど、悲しい気持ちになったとしても笑顔でいる事で笑顔が伝染する事もある。それが広がって周りが明るくなると良いですよね。
そんな事を考えたニュースだったけど、今この瞬間の平穏な日常の中でも少しでも仕合せな事を感じられたり、感謝を感じる心を持ちたいな~と改めて思いました。
と、前ふりが長くなりましたが今日は、意外と初めてなんじゃないかなっと思った僕の自己紹介ブログです。今回は僕の生い立ち編です。
尾道市 の 美容院 GOEN 尾道 美容室 のオーナー美容師兼シャンプーソムリエ 植田仁孝です。
おはようございます。今日は朝から雨の #尾道 です。昨日は久しぶりに何の予定もなくゆっくり過ごせた休日でした。何もなくとも平穏に過ごせる日常は仕合わせな事で有り難いと感謝しないとなぁと感じるこの頃。
今日からまた来月のお休みまでお仕事楽しみます!笑顔で素敵な1日を♪ pic.twitter.com/cS9FAtLpOy— 植田 仁孝 ご縁美容室(ゴエモン) (@goen5onomichi) 2018年6月19日
~成人になるまでの生い立ち編~
僕は1980年5月5日に三重県四日市市で生まれました。父は元々四日市市(僕が住んでいた家も父の育った家でした)の出身で、母も四日市市(母の実家は富田ってところで駅前のリスドールってパン屋がめちゃくちゃ美味かった)の出身です。僕が生まれた頃はちょうど父の両親がやっていた田んぼがあり、田植えの真っ盛りの頃だったと思います。(小学校低学年くらいまでは田植えと稲刈してました) そんな時に生まれた僕は体格が大きく産まれ、出産の時の母の出血が酷かったようでものすごく苦労して産まれてきたと後から聞きました。お母さんほんとありがとう。
そのまま大きく育った僕は保育園で初めての恋をしたらしい。当時4、5歳くらいだった頃に同じクラスの女の子と仲良くしてたのを見てた友達が茶化して盛り立てた。僕には恋とかそういう感情すら未経験だったので何が起きてるか分からず結局友達に弄られるのが終わったと同時に恋みたいなものも終わった。
小学生の頃芽生えたモノ作りへの興味
僕が小学生に入った頃から母親の青空美容室が始まった。数カ月に一度、家の庭でバリカンで丸坊主にされてました。だから小学生の間はずっと丸坊主か、伸びきった丸坊主頭かが交互に続いた。
そんな小学生でも一丁前に恋みたいなものはするらしく、良いな~って思った女の子にはだいたいちょっかいをかけていた。友達同士で気になる子の前でふざけてみたり、頭を叩いてみたりスカートめくりも流行っていた気がする(笑)
その頃から僕は何かモノを作るのが好きになっていった。学校では図画工作が好きで集中してやっていたし、家では誕生日やクリスマスには必ずLEGOを買ってもらってた。高学年になるとミニ四駆やプラモデルを作るのが好きになっていった。小学生の高学年になった時に冬休みの宿題で書いた図画が入賞して嬉しかったのを覚えてる。たぶん集中して細かい作業をするのが好きなんだと思います。
中学生の時は多感な時期を過ごした
中学生になると毎日が電車通学になった。家から遠くなったけど電車も好きだったから乗ってる時間が楽しかった。この時人生で初めて満員電車も経験しました。なんか大人になった気分でした。部活動はマンガの稲中卓球部が流行ってたのもあって卓球部に入りました。入った当初のコーチは優しい先生だったから稲中卓球部そのものだったけど、中学2年生くらいからコーチが厳しい先生に変わり環境が激変した。筋トレから始まりランニング、素振りと激しいトレーニングになった。予想以上に厳しくて大会の時にゼッケンを忘れてビンタされたくらいだ(笑)今だったら絶対体罰で訴えられてると思う(笑)
そんな中学生活で人生で初めてひと目ぼれした。1年生の頃に同学年の隣のクラスでめちゃくちゃ大人っぽい子がいて初めて見た瞬間惚れてしまった! 隣のクラスだったからしょっちゅう見れるわけでもなく悶々と過ごしてたけど、2年生になって初めて同じクラスになって飛んで喜んだ。その頃からオシャレに気を遣うようになって母親の青空美容室はやめて、床屋に通うようになった。(美容院じゃないんだ!ってツッコミはご遠慮ください笑)
当時は学期ごとに席替えがあったから席替えで席が近くなるとめっちゃ嬉しかった!隣の席になる事もあって急速にお互いの気持ちの距離も近くなった・・・と僕は感じてた。結局3年生の時も同じクラスになりすごく仲良くなったと僕は思っていたので、本気で告白しようと考えて毎晩自宅の自分の部屋で何度もシミュレーションしたことか(笑)
結局その当時の僕にはそこまでの勇気はなく、あえなくひと目ぼれのまま卒業を迎え別々の高校に行くことになり終わってしまった。
高校生になってようやく自身で選んだ進路に進むことに
高校に入り一気に環境が変わった。僕は頭が弱かったので市内の高校は受からず隣町の高校に自転車で通う事になった。当然中学の時の友達はほとんどいなくて唯一1人だけ一緒だったけど、高校の一学年のクラス数が7か8クラスかそれ以上あったのでその友達と一緒のクラスになる事はなかった。
自転車で片道50分、坂道ありの結構激しい通学路だったので学校行くのが嫌になった。そのせいかそこまで高校生活を楽しめなくて、早く大人になりたいと思ってすぐにバイトを始めた。最初はチョコクロワッサンで有名なサンマルクのレストランで働いた。僕はパンの製造をメインに仕事してて、たまにお客様のテーブルに回って焼きたてのパンを勧めた。そのバイトは長く続かず(元々オープニングスタッフだったらしい笑)次に働いたのが新宿さぼてんという惣菜のトンカツ屋さんだった。
このバイトは高校1年の冬から卒業するまでずっと続けた。途中お正月の期間だけ郵便局のバイトもした。もちろんバイト三昧だったので高校の部活は茶道部という名の帰宅部だった。
学校生活では一度同じクラスの子と付き合う事になったけど恋愛がよく分からず数カ月ですぐに別れた。その頃から学校ではあまりクラスの子と話すこともなく担任の先生にいじめられてるんじゃないかと心配されるほどだった。だからバイトしてる時が1番楽しかった。同世代じゃなく大人の人と話してるほうが楽しかった気がする。この時一緒にバイトしてた僕より年上の女性に惹かれ、バレンタインチョコを貰った時は超絶嬉しかったけど直ぐに義理だと分かり撃沈する(笑)
それから高校3年になって進路を決めなくちゃいけなくなった時、すでに僕が進める道は専門学校か就職かのどちらかだった。それくらい学力もなくて勉強が嫌いになってた。
バイトはしてたけど卒業してすぐには働きたくなかった事もあって専門学校を選ぶ事にした。この時候補に挙がったのが美容師の専門学校かインテリアや建築系のデザインの専門学校だった。何校か学校のパンフレットを集めてその中から最初にオープンキャンパスに行ったのが大阪の美容学校でした。
この時初めて僕は美容師という仕事に興味を持ちました。それで何校か美容学校を回った中で良さそうな学校を選んで、初めて両親にココに行きたいって言ったと思う。それまでは全く何も相談してなかったからビックリしたと思うけど、全て受け入れてくれて快く家から送り出してくれました。
そして僕は、高校を卒業して大阪で1人暮らしをしながら美容学校に通う事になりました。この当時のBGMはゆずのさよならバスです(笑)
めっちゃ長くなったので今日はココまでにします。僕が美容師に興味持ちだしたのはめっちゃ遅かったけど今では天性だと思ってます。次回は美容学校入学から就職して修行時代のお話をしますね。
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